色のない緑

ゲーム、アニメ、本の感想など書きます。主にTwitterの補完的な記事です。

自作PCをドレスアップした

臨時収入が入ったので、自作PCをドレスアップしました。

LEDがピカピカする、いかにもゲーミングPC!って感じにしようと思い、色々と調べたらNZXTのH9 FlowというPCケースに一目惚れしました。

timely.ne.jp

最近推しのフィギュアも買い、それを飾れるぐらいの大きさだったので速攻でポチりました。

www.goodsmile.info

PCケースに以外に買ったものは
- ケースファン
- CPU水冷クーラー
- 白い電源延長ケーブル
- Ryzen7 5700X(5600Xから乗換。AM4マザーの延命)
- グラボを縦置きできるやつ

思いの外、出費が増えましたが臨時収入の範囲内なので良いでしょう。 (本当はNZXT製品で統一したかったけど・・・!)

ということで、こんな感じになりました。割りとイメージ通りになって満足しています。マザーボードの付属ソフトでRGBの色も制御できるし、所有感が満たされます。

5700Xにしたのであと数年は使えるかな。
今使っているグラボがRTX 2600 Superで、今夏予定のFF14グラフィックアップデートだとキツそうだから白い4600 Tiぐらいに変えたいです。

自作PC歴13年で初めてフルタワーに手を出したけど、配線やファンの取付が楽でいいですね。あと、水冷クーラーも空冷よりも楽で冷えるから今後は積極的に採用していこうと思います。

2023年の振り返り

今年も残り1ヶ月を切ったということで、2023年の振り返ります。 pcoge.hatenablog.com

お仕事

  • 昇給する
    10月に転職して、結果的に達成できました。
    転職後は月給は下がったけどもボーナスが出るようになり、みなし残業が無くなったのが嬉しいです。
    福利厚生も圧倒的に良くなった(大企業すごい)ので、長く続けられるように頑張る。

  • 情報処理安全確保支援士試験に合格する
    春季試験で無事合格できました。


    試験後の手応えとしては、午後Ⅱの認証系の問題が全然分からなくて落ちたと思ってたから、合格の実感が湧かなかったです。
    支援士登録はまだしていないですが、次の申し込み期間で登録しようかなと思います。

  • AWS 認定ソリューション アーキテクト アソシエイト試験に合格する
    6月に合格できました。


    上記の支援士試験が落ちたと思っていたので、モチベーションが高いうちに勉強して受けました。情報処理の結果発表と同じなのは、不合格(と思ってた)のショックを少しでも相殺しようと思ってです。
    今考えると、両方落ちた時はショックが半端ないですね・・・。

プライベート

  • 3回以上山に登る
    登山に全然行けてません。
    もう少し寒くなってきたら高尾山へリハビリしに行きます。

  • 本を読む、感想・要約を書く
    本はぼちぼち読んでるんですが、読書メーターに読了の登録するだけで感想とかかいてませんでしたね。
    内容を忘れないように取り組もうと思ってたのですが、最近だとKindleでマーカーするだけで済ませちゃいますね・・・。

  • ランニングを始める
    全然出来ませんでした。ウォーキングは週3~4ぐらいで続けられています。
    消費カロリーも結果的に変わらなさそうだし、続けられる習慣が良さそうと思っています。

  • 5kg痩せる
    痩せることも増えることもなく、現状維持。
    痩せるためには運動よりも食事を減らしたほうがいいのはわかっているけど、むずかしい・・・。

  • コミケのスタッフをやる
    そもそもコミケに行ってない・・・。

  • 推し事をおろそかにしない
    X(旧Twitter)の騒動があってから、メインのSNSがMisskeyになってしまったこともあり、推しの興味が薄れてしまいました。
    新しい推しを見つけたい・・・。

  • 競馬をやめる
    全然やめられない。 天皇賞(秋)を現地観戦してから、むしろハマっていってます。
    データや理論を積み上げるギャンブルの側面、好きな馬や騎手の物語消費の側面、どちらも面白いから続けてしまいますね。
    やめることを改めて、やめないけども生活に支障が出ないようにする方向にチェンジしたいです。

2023年の目標

お仕事

  • 昇給する
  • 情報処理安全確保支援士試験に合格する
  • AWS 認定ソリューション アーキテクト アソシエイト試験に合格する

プライベート

  • 3回以上山に登る
  • 本を読む、感想・要約を書く
  • ランニングを始める
  • 5kg痩せる
  • コミケのスタッフをやる
  • 推し事をおろそかにしない
  • 競馬をやめる

『生物と無生物のあいだ』を読んだ

福岡伸一先生の『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)を読みました。 新書を手にしたのは、昨年8月に宮口幸治先生の『ケーキの切れない非行少年たち』を読んだ時以来なので、実に半年ぶり。

本書は、ある問いかけから始まります。

人は瞬時に、生物と無生物を見分けるけれど、それは成分の何を見ているのでしょうか。そもそも、生命とは何か、皆さんは定義できますか?
(『生物と無生物のあいだ』3ページより抜粋)

本書では、「生命とは何か」についての答えを導く上で、生物学の研究結果や研究者にまつわるエピソードを交えながら、生命のふるまいを分かりやすく書かれていました。
ここでは、気に入った描写や表現を抜き出して、感想を述べてきます。

動的平衡がもたらす「変わらない」について

構成する栄養素が絶えず入れ替りながら、その機能を構成していくというふるまいは、ハッとさせられました。
汗をかく、排泄する、髪の毛が抜け落ちる。身体から様々なものが失われるが、それを補うために食物から栄養素を摂取していく。 いわゆる「代謝」という行為の本質に触れたような気がします。
当たり前の事をこうやって言語化されると、なにか新しい発見をした気分になります。

ここで書かれている「代謝」は、生物だけでなく日常生活にも当てはまる、まるで『コンビニ人間』の恵子の考えを想起させました。

店長も、店員も、割り箸も、スプーンも、制服も、小銭も、バーコードを通した牛乳も卵も、 それを入れるビニール袋も、オープンした当初のものはもうほとんど店にない。ずっとあるけれど、少しずつ入れ替わっている。
それが「変わらない」ということなのかもしれない。
(『コンビニ人間』57,58ページより抜粋)

この「変わらない」という感覚を、本書では生命という系(システム)という観点から言語化されていて、なにか教養の繋がりを得た感覚になりました。 『コンビニ人間』を読んだ直後に、本書を薦めてくれたフォロワーの方に感謝です。

生命の神秘性

私は幼い頃からコンピュータやゲームが好きで、高専に入っても電気・情報工学を専攻し、今はコンピュータエンジニアとして働いています。
物理やコンピュータは好きだったけど、生物学はあまり好きではありませんでした。

しかし、そんな生物学に興味がない私でも、生物学の難しさや生命の神秘性を本書から感じざるを得ませんでした。

私たちは遺伝子をひとつ失ったマウスに何事も起こらなかったことに落胆するのではなく、何事も起こらなかったことに驚愕すべきなのである。動的平衡がもつ、やわらかな適応力となめらかな復元力の大きさにこそ驚嘆すべきなのだ。
結局、私達が明らかにできたことは、生命を機械的に、操作的に扱うことの不可能性だったのである。
(『生物と無生物のあいだ』271ページより抜粋)

本書の例を借りると、テレビの音を出力するパーツを取り除くと、テレビから音が出なくなる。私たちエンジニアにとっては当たり前の因果ですが、生物学にはそれが通用しない。
生物からあるDNAが失われても、補完的な関係にある他のDNAから時間をかけて復元されて、機能を失われずに済む。
そこに時間という不可逆性が密接に関わっていることが、我々人間が生命に対して干渉できないことを示唆しているのではないでしょうか。

印象的な描写

その他、印象的だった描写を箇条書きで書き記します。

仮説と実験データとの間に齟齬が生じたとき、仮説は正しいのに、実験が正しくないから、思い通りのデータが出ないと考えるか、 あるいは、そもそも自分の仮説が正しくないから、それに沿ったデータが出ないと考えるかは、まさに研究者の膂力が問われる局面である。 実験がうまくいかない、という見かけの上の状況はいずれも同じだからである。ここでも知的であることの最低条件は自己懐疑ができるかどうかということになる。
(『生物と無生物のあいだ』67ページより抜粋)

仕事やプライベートでも、自分が正しいという思い込みは捨てて、客観的に考えることは大事ですよね。

シュレーディンガーが、なぜこのようなことを諄々と説明したかのといえば、物理法則は多数の原子に関する統計学的な記述であること、 つまりそれは全体を平均したときにのみ得られる近似的なものにすぎない、という原理を確認したかったからである。
(『生物と無生物のあいだ』140ページより抜粋)

全てが法則の通りに動くということでなく、あくまでも平均した時にそうような傾向が見られるということに気が付かせてくれました。

時間という乗り物は、すべてのものを静かに等しく運んでいるがゆえに、その上に載っていること、そして、その動きが不可逆的であることを気づかせない。
(『生物と無生物のあいだ』269ページより抜粋)

『コンビニ人間』を読んだ

第155回芥川賞受賞作『コンビニ人間』を読みましたので、その感想になります。

この作品を手にとった経緯は下記のツイートから。

本作に登場する古倉恵子や白河は周りから浮いてしまっている存在の人間だが、共感できるセリフや考えが多々ありました。 「普通とはなにか?」を問う作品だと聞いていたので、難解なものだと思っていました。しかし、決してそんなことはなく、むしろ難しい言葉を排除しつつ、共感を得られる表現が沢山ありました。

他人の悪口

バイト中の悪行を咎められた白河が辞めてしまった後、店長や他のバイト店員が白河の悪口を言うシーン。すごく人間の闇を感じました。こういうのあるあると共感しました。

このシーンはある言葉を思い出しました。それは私が前職で働いたころ、社内の人権啓発を終えた後の先輩の言葉だった。(確か、パワハラやセクハラに関するビデオを観た気がする)

「人の悪口に関する話題って盛り上がるよね。ホントはイケナイこととわかっている。だけど、他人と共感を得られやすいし、ついつい話が膨らんでしまうよね。特に飲み会とかだと抑えが効かなくなる。」

先程のシーンは、まさにこの言葉の通りだと感じました。人の悪口を言うことで他人を共感を得る。 言い換えるのなら、他人と共感を得るために人の悪口を言う。目的のための手段として考えれば、『嫌われる勇気』に書かれている「行動のために感情を捏造する」という言葉に近いものを感じました。

青年: じゃあ先生は私の怒りを、どう説明するおつもりです?
哲人: 簡単です。あなたは「怒りに駆られて、大声を出した」のではない。ひとえに「大声を出すために、怒った」のです。つまり、大声を出すために、怒りの感情を作り上げたのです。
青年: なんですって?
哲人: あなたは大声を出す、という目的が先にあった。すなわち、大声を出すことによって、ミスを犯したウェイターを屈服させ、自分のいうことを聞かせたかった。その手段として、怒りという感情を捏造したのです。
(『嫌われる勇気』33,34ページより抜粋)

この引用と照らし合わると、人の悪口を言うという行為は、コミュニティ内の他人から共感を得るために、自分は同じ考えを持っている味方だと知らせるための処世術のようなものではないでしょうか。

そして、悪口の対象が白河のようにコミュニティ内で理解し難い人であればあるほど、コンビニのように「すべてが正常化され、異物が排除された空間」であればあるほど、この処世術はより効果的に作用します。

作品の後半で、恵子と白河が同棲していることを知った直後に、店長や他のコンビニ店員が白河に向ける感情が憎悪から興味に変化していることも、「行動のために感情を捏造している」ということの裏付けになるかなと思いました。

悪いと思っているけど人の悪口がやめられないのは、この処世術が持つ手軽さや魅力的な効果が手放せないかもしれませんね。 もしかすると、人間社会はこの処世術という捏造された負の感情に縛られて作られているのではないでしょうか。

『ハーモニー』のようなディストピアを感じた

コンビニを「強制的に正常化され、異物が排除される場所」と表現していた部分にディストピアな空間を感じました。

ここは強制的に正常化される場所なのだ。異物はすぐに排除される。
(『コンビニ人間』64ページより抜粋)

まるで、最近読んだ『ハーモニー』に登場するWatchMeのように、体内を監視し異常な部分を修復する器官が備わっているかのようです。

日常生活を綴られている作品でありながら、SF小説を読んだような感想が出でくる。
今まで、ディストピアという言葉は日常では感じることはできなくて、SF小説のような現実とかけ離れていた世界でしか感じることがありませんでした。

そのため、本作で得られた体験は非常に斬新なものでした。 私が過ごしている日本の日常の一部分であること、主人公の恵子と同じような感覚を持っている、その条件下でありながらも、言語化した瞬間にディストピア的な解釈ができる文章が導き出せる。

純文学が持つ、高い文学性と芸術性がなんとなく分かったような気がしました。

『ミッドサマー』を観た

現在上映中の映画『ミッドサマー』を観て来ました。

鑑賞直後の自分の感想は以下のとおりです。

しかし、余韻に浸りながら感想を書いているうちに、この考えを改めることになりました。


映像だから伝わる作品

この作品は映像だからこそ伝わるものがあります。

本作品は非常にグロテスクでアダルトなシーンを多く含みます。
人が崖から飛び降りて顔面が破壊されるシーン、他人の陰毛が料理の中に含まれるシーン、歌う女性達に見守られながら恋人でもない女性とセックスをするシーンなど、それらは多くの観客からすれば、非日常的で理解し難いものでしょう。私自身も作品の中で何度も目を逸らしたことかわかりません。

しかし、本作品が表現しようとしているのは、これらのシーンに他ならないと考えます。
ペイガニズムの祭りを郷土史のような文字ではなく、映像として表現して、生々しく伝えようとしているのではないでしょうか。

小説や郷土史と言った文字によるコンテンツは、文章を理解しイメージすることで解釈することが出来ます。逆に言えば、文章の理解力が乏しかったり、自分のイメージできない(したくない)表現は解釈出来ないと言えます。
ある意味では、読み手の能力や意図によって、製作者の伝えたいことが伝わらない可能性があるコンテンツと言えるでしょう。
しかし、映像ではそのような小説のハードルを一切無視して、ダイレクトでストレートに、観客へ伝えてきます。
本作品は、ペイガニズムの祭りをありのままに伝えようとした結果、映像の持つ性質を十二分に活かした作品だったと言えます。

社会的多数派と少数派

この作品が社会に訴えようとしている社会問題を強いて汲み取るのであれば、社会少数派へ強いる同調圧力だと考えます。 多数派の同調圧力による少数派への干渉・排除、そして多数派が自らの行為を正当化する、この社会問題を田舎町ホルガという舞台で表現しているのではないかと思います。

もし、「この映画が低俗で最低なモノだという」という評価があったのであれば、私はそれを否定します。 その評価自体が、この作品で表現している多数派による同調圧力と変わらないからです。

もし、そのような評価が蔓延した社会は、自分の理解できないものが多数派だった場合、同調圧力により自分の信じていた倫理観や価値観を捨てることを強いられ、狂気に落ちていくエンディングと同じ運命を辿るのではないでしょうか。